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東京・錦糸町の 羽衣シャツ株式会社さん

社名の由来は
三保の松原の羽衣

東京・錦糸町で、昭和29年(1954年)創業68年目を迎えられる羽衣シャツ株式会社さんを取材させて頂きました。
創業者が静岡出身であったことから、三保の松原の羽衣にちなんで「羽衣シャツ株式会社」となったそうです。もともとネクタイの会社にお勤めだった創業者が、戦後復興した東京でシャツ(カッターシャツ)の専業メーカーとしてスタートされました。当時は日本にまだ37−86などのサイズ表示であるカッターシャツしかなかったため、その専業でしたが、徐々にストライプなどが増え、アイビーブームの頃からボタンダウンなどカジュアルへ移行されました。
創業地は隣町で、最初は協力工場で生産されていましたが、現在の場所に移転してからは裏に工場があり、社内と出身地である静岡の工場で縫製していました。神田に問屋が多かったため、神田にも卸の店があったようです。また、当時は「ダイヤ羽衣」というブランドも有ったそうです。

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現会長が社長就任当初はほとんど国内生産品でしたが、現在では海外生産と国内生産が半々の状態で、シャツ以外にもパンツやカットソーの縫製も手がけられています。 羽衣シャツ株式会社 昔は会社の周りに職人さんがいて、それぞれ分業で製品が出来上がっていましたが、現在では老齢化が進み職人が激減してるため、協力工場に一括してお願いしています。

ここ5年くらいは変化が加速

時代の変化とともに、生産の方法も大きく変わリました。中国をはじめとした海外での生産が増え、国内生産が激減しました。ただ、中国の納期が不安定なことと、工賃が国内生産と中国と差がなくなってきたこと、コロナで岐阜の縫製工場が減ったことなどから、国内の縫製工場も一杯の状態が起こっています。ただ、縫製業は賃金が安いことから後継者も育っていないため、工場の設備を維持することも難しくなってきており、今後日本製を守る対策が急がれています。

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そのためにはまず市場価格を上げ、工場の維持を図りながら技術の質を下げないことを目指す必要がありますが、それを誰が先導して行うかが問題となっています。

ものの価値観を上げて価格と上げるというのは、本来消費者の理解と行動が大切ですが、shirotamaでは今回のシャツを初めての試みとして工場をいかに守るか、消費者をいかに説得するかを考え、ものづくりや企画を行っていきたいと思います。

今回のシャツは数少ない国内の縫製工場で丁寧に縫った商品です。あえての襟なし、メンズ仕立てですが、レディースにも充分対応できるサイズ展開です。襟回りや袖口が美しい仕上がりのシャツをぜひお楽しみください。

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shirotamaは、株式会社ロングスとコイズミデザインファクトリーが協同して行っているプロジェクトです。

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